第15回 足利義満・義政~室町文化の発展~
■ 足利義満の力の象徴、金閣
京都、北山で黄金に光りかがやくのが、金閣です。
世界遺産に指定され、年間500万をこえる人が訪れています。
建てたのは、足利義満。
■ 貴族、武士、寺の文化を取り入れて
金閣の1階には、戸をつり上げ、部屋に光や風を取りこむための「しとみ戸」があります。
しとみ戸は、貴族の建物で使われていました。
2階には、武士の建物のつくりが見られます。内と外を仕切るのは、「引き戸」です。あつかいやすくて場所をとらない引き戸は、機能重視の武士の家で使われました。
3階。丸みを帯びた窓は、お寺の建物のつくりです。
義満が作った金閣は、貴族、武士、寺、それぞれの文化を取り入れた建物でした。
金閣寺の3つの窓
■ 金閣を中心に華やかな文化が栄えた
義満の力をさらに強くしたのが、当時の中国「明(みん)」との貿易です。
日本からは金をあしらった扇(おうぎ)などの工芸品が輸出され、明からは大量の銅のお金が輸入されました。
莫大な富を手にした義満は、京都北山の地に、金閣のほかにもたくさんの建物を建てます。
そこでは、貴族や武士をもてなすため、「能」が演じられました。
義満が力を入れて育てた能は、現代にも伝わります。
金閣を中心にした華やかな文化が、足利義満の時代に栄えたのです。
■ 足利義政の山荘、銀閣
8代将軍の足利義政は、金閣を作った義満の孫にあたります。
義政が将軍のとき、有力な武士たちが京都で大きな争いを起こします。
「応仁(おうにん)の乱」です。
争いは10年あまり続きました。
将軍として武士をまとめることができなかった義政は、政治から身を引きます。
そんな義政が京都の東山に山荘として作ったのが、銀閣です。
金閣と同じく世界遺産です。
■ 日本独自の建築様式が完成した
銀閣から少しはなれたところにあるのが東求堂(とうぐどう)。
ここには義政の書斎があります。
特徴は、畳がしきつめられていることです。
また、外との仕切りには障子が立てられました。
かべには、「床の間」の原型となる「付書院(つけしょいん)」と、「ちがい棚」が配置されました。
このような部屋を「書院造(しょいんづくり)」といい、和室のもととして今に受けつがれています。
銀閣が建てられたころ、日本独自の建築様式が完成しました。
■ 生け花や水墨画などの文化が生まれた
書院造の部屋からは、さまざまな文化が生まれます。
たとえば、床(とこ)の間をかざるために発達したのが「生け花」です。
「掛け軸(かけじく)」。
墨の濃淡で自然をえがく「水墨画」が、掛け軸に用いられました。
義政の時代に、生け花や水墨画など今に伝わるさまざまな文化が生まれたのです。
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