第10回 平清盛~武士の世の中へ~
*平治の乱で大勝利…
平治の乱で、ライバルの源氏に勝利した平氏。
平清盛は、平治の乱での活躍がみとめられて、上級貴族の仲間入りをします。
なのに、負けて伊豆に流された源頼朝のほうに同情が集まるなど、清盛がやっつけた源氏のほうが、人気があるようです。
*武士が力をつけていった時代
平清盛は、武士の世を切り開いた、時代の革命児です。
土地を切り開き、農業などをして暮らす人々のなかには、領地を守るために武芸にはげむ者がいました。
こうした人々を「武士」とよびます。
この時代、政治の中心を担っていたのは天皇や貴族でした。
武士の地位は低く、便利なボディガードとしてやとわれていました。
争いのとき、貴族にとっては武士の力がたよりでした。
やがて、武力を増した武士は、貴族をしのぐ立場になっていきます。
*武士の頂点に
清盛は、横行していた海賊の取りしまりを朝廷から命じられます。
そこで大手柄をあげ、瀬戸内海を支配する権利をあたえられると、兵力を西へと拡大させていきました。
そんな清盛の最大のライバルが、源義朝です。
二人はそれぞれ武士の一族、平氏と源氏を率いるリーダーでした。
1159年、貴族の権力争いをきっかけに義朝と清盛が激しく衝突。
天皇を味方につけた清盛が大勝利を収めます。
「平治の乱」です。
義朝は殺され、息子頼朝は遠く伊豆へ流されました。
清盛はついに武士の頂点に立ったのです。
*平治の乱に勝ち、武士と貴族の頂点に
清盛は活躍をみとめられ、武士でありながら上級貴族にもなります。
平安時代最高の役職である「太政大臣(だいじょうだいじん)」になり、政治の実権をにぎりました。
頂点に立った清盛は、一族を重要な役職につけました。
平氏一族が太陽のようにかがやく時代が幕を開けます。
*中国との貿易に乗り出す
出家した清盛は、すぐれた実業家としての才能も発揮します。
平氏の基盤を支える収入を得るため、あることに乗り出すのです。
「宋(そう)」とよばれた中国との貿易です。
清盛は、神戸の港を貿易の拠点にしようと考えます。
*平氏の時代の終わり
富を持ち、政治をほしいままにする平氏。
その姿をほかの武士たちは苦々しく思っていました。
「平氏は武士のためではなく、平氏一族のために政治を行っている」…。
1180年、事態は大きく動きます。
かつて、平治の乱で伊豆へ追いやった源頼朝が、打倒平氏をかかげ、立ち上がったのです。
「あのとき、頼朝を殺しておけばよかった…」。
清盛は後悔します。
そして、64歳で熱病にかかりなくなります。
清盛の死から4年後、壇ノ浦の戦いで宿敵源氏に敗れ、平氏の時代は終わりを告げました。
*今に受けつがれる功績
現在の神戸港。
かつて清盛が、貿易のために大きくしたあの港です。
多くの外国船が行き交う、日本有数の海の玄関に成長しました。
武士として、貴族として、すぐれた実業家として、清盛の功績は今に受けつがれています。
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