Sunday, July 28, 2013

生沢(いくさわ)クノ:日本で2番目の女医

*埼玉県庁

生沢クノ(いくさわ くの、1864- 1945、81歳)は、荻野吟子に続き、日本で2番目の女医になりました。
埼玉は近代女医誕生の地です。

独身を通し、草の根医療に尽くしたので「女赤ひげ」ともよばれます。

◇                    ◆                    ◇

13歳で女医をめざすために、単身で上京します。

18歳で医学校に入学します。
女人禁制のため、生沢クノは断髪、男装で、別室で修学させられました。
森鴎外は講師の1人でした。 

23歳で女医2号となりました。 

24歳の時に、川越で講演をします。
花柳界のナンバーワン久良吉(くらきち)ねえさんに懇願されて、
川越で婦人科医院を開業します。官医は横暴でした。
「女の病気は女医の手で」を実行します。
<※ 生沢クノは、久良吉(くらきち)ねえさんが用意した、今の初雁中学の裏手で診療活動をおこないます。久良吉(くらきち)は三味線、舞踊、鼓、太鼓、小唄、端唄、常磐津の名手でもありました。>

献身的な治療をおこない、「女赤ひげ」とよばれるようになります。 
川越で10年間尽くしました。

川越を去って後は、郷里の深谷などで、「女赤ひげ」の生活を続けます。 
生沢クノは、深谷生まれで深谷で土に帰りました。

生沢クノは、一生を埼玉のために捧げました。

荻野吟子



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