Saturday, July 27, 2013

荻野吟子:日本の女医第1号。埼玉の女医


荻野吟子 (※)
女医が認められていなかった頃なので、男性と同じ髪型
荻野吟子 没後100年。 2013年。With Youさいたま
With You さいたま。 図書室
荻野吟子(おぎのぎんこ、1851- 1913、62歳)は、現在の熊谷市に生まれました。
「荻野家に天才少女あり」といわれたほどの才媛でした。

夫からうつされた難病を男性医師に婦人科治療されたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師になることを決意します。

2年で離婚します。

当時は女性は医師になれませんでした。

漢方医学の塾で学びました。
現・お茶の水女子大学を主席で卒業します。
さらに医学校「好寿院」しました。

しかし、女性のために、医業の願書は受け付けてもらえませんでした。
海外へ行くしかない所まで追い詰められます。

1885年、規則の改正のあと、湯島に産婦人科医院を開業します。

34歳にして、近代日本初の公許女医となります。
吟子のことは新聞や雑誌で「女医第一号」として大きく扱われます。

埼玉県三大偉人の一人です。

2013年は、荻野吟子没後100年となります。

熊谷市立荻野吟子記念館
荻野吟子 動画も。 熊谷デジタルミュージアム

埼玉県の偉人ホームページ


(※)熊谷デジタルミュージアム

【追記】

M淳子:
地元では小学生の授業にも頻繁に登場し、給食には吟子汁というメニューもあって、いつも身近に「荻野吟子」ですね。
熊谷市出身の芥川賞作家、青山七重さんの小説にも同姓同名の女性が登場するほど地元では愛されています。 (2013/08)

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