1 名前
伊勢新九郎盛時
↓
早雲庵 宗瑞(そうずい。出家後)
↓
北条早雲(死後)
「新九郎」という名は、北条家の長男に代々引き継がれていきます。
2 生い立ち
井原市(いばらし)は岡山県の西端 |
成人すると室町幕府の足利義視に仕えます。
足利義視は、8代将軍・足利義政の弟です。
足利義視に従い、伊勢へ逃れます。
その後姉妹のいる駿河今川家に10年ほど仕えます。
3 早雲の領民支配
早雲は、農民が負担する年貢を減じています。
戦う意志のない者まで攻め滅ぼすような行為には及んでいません。
4 教養人早雲
北条早雲は、京の大徳寺で禅を学んでいます。
「早雲寺殿廿一箇条」という家訓が知られています。
この家訓では、和歌をたしなむことや、懐に書籍を入れておくことなどを説いています。
子の北条氏綱は積極的に京の文化を取り入れました。
こうした素養は、父早雲から引き継がれたものです。
5 倹約家早雲
同時代の連歌師・宗長(そうちょう)が、北条早雲を評しています。
「針すらも蔵に蓄えるが、戦いがあれば高価なものでも打ち砕いてしまう」。
早雲は常日頃倹約に努めていました。
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*http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/hojo/p09008.html
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