野上弥生子 |
99歳で亡くなるまで毎日書いていました。
若い頃、夫を通じて夏目漱石に私淑しました。
62年間にわたり日記をつづりました。
ラジオで英会話を聞いていました。
79歳でフランス語とドイツ語をはじめました。
81歳でスペイン語もはじめました。
京大と東大教授の3人の息子は、成城の野上弥生子邸のまわりに住んで(はべって)いました。
晩年になるほど著作収入のふえた弥生子は、彼ら一族の面倒をしっかりみました。
「女性である前にまず人間であれ」と説きました。
女性は知性をもって生き抜くべきだ、ということです。
野上弥生子の「書く」ことに関する語録を抜粋編集します。
執筆ペースは、1日400字程度でした。
これが ま・い・に・ち のノルマでした。
書きだすと、書くまでは思いもつかなかったことが、次々と出てくる。
それでこそ執筆は怠ってはならない。
書かなければ、現れるものも現れない。
前の夜までは、思いもしなかったことが、頭のなかに浮き上がってくる不思議さ。
この楽しみがなければ、書くことは苦痛のみになってしまう。
1日怠れば、その日はただ水の泡と消えてしまう。野上弥生子は、高い目標を掲げて、毎日まいにち、地道に仕事をしました。
◇ ◆ ◇
野上弥生子は、感想を求められると、まことに慎ましやかに、述べました。(松岡正剛『千夜一夜』)
谷崎潤一郎については、「こんな御座なりを書くほか書くものがなく、また書けないのなら、断ってゆっくり遊んでいればよい」。
芥川については、「芥川氏の如き作風ではそうたくさん書けると思うのがはじめから間違いだ」。
武者小路実篤については、「これではダメだ」。
2人は同年でした。
実篤は晩年認知症に。
志賀直哉については、「よせばよいものを書きはじめてしまった」。
菊池寛については、「低級である」。
佐藤春夫については、「浅草の春芝居でやるとよい」。
徳田秋声については、「キザと一人よがり」。
現代は一目置かれて、寸鉄人を刺す人がいなくなりました。
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