山川健次郎 (※)国会図書館 |
山川健次郎 (1854- 1931、76歳)
山川家は、会津藩家老の家柄でした。
山川健次郎の兄・浩は藩主松平容保の信任が厚く、戊辰戦争の時には、家老として籠城戦を指揮します。
妹・山川捨松は、津田梅子と同じく最初の女子アメリカ留学生です。
後に薩摩の大山巌・陸軍元帥の妻となりました。
◇ ◆ ◇
山川健次郎は、1868年15歳のとき、白虎隊に編入されますが、若年のため除隊となります。
1871年(明治4年)、イェール大学に留学し、物理学を専攻します。
戊辰戦争では、会津は物理学などの近代科学の知識不足で苦渋をなめました。
孤独と貧窮の中で、不眠不休の研鑽をします。
双肩に一族、会津の運命を担っていました。
26歳で東京大学初の物理学教授となります。
48歳で、東京大学の総長となります。明治
そのあと九州大学、京都大学の総長を歴任します。
山川健次郎は明治教育界の重鎮でした。
東京理科大学、東北大学の創設にも尽力し、武蔵大学、九州工業大学のトップもつとめました。
田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)、長岡半太郎は、直弟子です。
清廉質素で、破れ長屋に住み続けました。
1928年の京都会津会
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