大道寺政繁。狩野興信(女浮世絵師)画。安中市学習の森にて。 2012/12 |
後北条の勢力図 (※) |
「政」の字は氏政からもらったものです。
北条氏の主要な合戦で武功を挙げました。
坂戸市発展の基礎を築きました。
「河越」は江戸時代に「川越」となります。
大道寺家は北条早雲以来の後北条氏の重臣です。
北条早雲(伊勢新九郎)に、伊勢時代から仕えていました。
1546年、政繁の祖父、父は、河越夜戦(かわごえよいくさ)で、上杉勢を敗北させました。
河越夜戦(かわごえよいくさ)は、日本3大夜戦のひとつです。
これにより太田道灌の築城より90年続いた上杉氏の河越城支配は終わりを告げました。
室町時代(1338- 1573)のことです。
大道寺氏は以来1590年まで3代40年間にわたり河越地域を支配します。
1582年(天正10)の本能寺の変ののち、後北条は関東北方支配を強化します。
大道寺政繁は河越城の城代を務めながら、松井田城(群馬県安中市)の城主を兼帯すろことを命じられます。
1590年は豊臣秀吉の小田原攻めの年でした。
大道寺政繁は、松井田城を守るも、前田利家、上杉景勝、真田昌幸に攻められ降伏しました。
同年、秀吉の命で自害しました。
北条びいきの徳川家康は、豊臣秀吉に懇願し、大道寺政繁の子供らを家康預かりの身としました。
大道寺政繁の長男は将軍・徳川秀忠に仕えることになります。
(※)北条5代
初代・早雲、2代・氏綱、3代・氏康、4代・氏政、5代・氏直
蓮馨寺物語
(※)http://www.geocities.jp/woodone3831/c-1-3-4-11-siro-odawara.html
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